【6月3日公式練習】 舞台は再び筑波サーキット。 前回の全日本選手権ではマシンセッティングがばっちり決まって意気揚々と挑んだ決勝レースでエンジントラブルのためリタイヤ。 不完全燃焼に終わったのでその鬱憤を晴らすべく筑波の地方選手権にエントリーしました。 目標はずばり58秒台、悪くても59秒台の前半まで持って行きたいところです。 今回は全日本筑波後の地方選手権なので、前回のように全日本ライダーの参戦はなく、自己ベストタイムだけを考えれば自分が優勝候補の筆頭になります。 ところがこの週末も天気が思わしくありません。 この日の公式練習1本目はコース上に前日からの雨が残りハーフウェット、出走を取りやめます。 公式練習2本目は完全ドライとなりコースイン。 全日本筑波のセッティングでコースを攻めているのですが、コーナリング中に前後のサスペンションが嫌な動きをします。 どうにもフワフワしていて、フルバンクにもっていこうとするとリアタイヤが今にも滑り出しそうな気配がするのです。 タイムは1分0秒中盤を淡々と刻んでいるのですが、それ以上のタイムアップができません。 この調子だと、本番で新品タイヤを履けば59秒台後半までは持っていけるかもしれませんが、59秒前半や58秒台突入までは全く見えてきません。 まあ58秒台というのは「全日本で表彰台にあがりたいライダー達」のタイムなのでそうそう簡単に見えてくるはずもないのですが・・・。 それにしてもレースというのは因果なものです。 昨年まで(いや、ほんの2ヶ月くらい前まで)であれば中古タイヤの練習で1分0秒中盤でぐるぐる走れたら”絶好調!!”と浮かれていたのに、一度59秒台を出してしまうと0秒中盤というタイムでは全く浮かれた気持ちにはなれません。 いや、そもそも59秒台を出せればそれ以上はもう望むことは無いだろう・・・と思っていたのに、今はその上の59秒台前半やら58秒台を目指して予定外の筑波の地方戦に出場しようとしているわけです。 ただ自己ベストを更新し続けている現在のような状況で筑波サーキットを卒業するのは難しいです。 変な話ですが、今回のレースに出て、前回の全日本筑波でマークした59秒836というタイムに遠く及ばないタイムしか出せなければ、そのとき初めてその59秒836というタイムが自分の限界だったんだ・・・と納得できるような気がします。 今回のレースはそれを確認するためだけのレースになるかもしれません。 でもそれは自分にとって大事な区切りになるのです。 【6月4日 予選/決勝】 当日朝、車の中で目覚めると外はザンザン降りの雨です。 前回も書いたとおり今回は自己ベストタイム更新に重点を置いた参戦であるため、ウェットレースではその目的は全くなくなってしまいます。 正直今回のレースは出走取りやめようかと思いました。 金銭的にもかなり厳しい状況で、こんな風にモチベーションを失ったレースに出場して、濡れた路面に足をすくわれて転倒したら、また部品代やらなにやらで予定外の出費がかさんでしまいます。 ましてや打ち所が悪く怪我でもしたら、今年の後半に予定されているSUGOと鈴鹿の全日本の晴れ舞台に立てなくなってしまう。 しかしながら、まがりなりにも全日本に出場したことのあるライダーが、雨が降ってるからといって欠場したとなるとはあまりに格好が付きません。 意を決して準備すべく車の外に出てみますが、やはり雨はザンザン降っています。 「やっぱり変な意地を張らず欠場しようかな・・・」 今さっき固めたはずの決心も揺らぎます。 「でも今年ここまですごく良い感じで調子を上げてこれているのは、最後のシーズンに向けてレースの神様がちょっと味方してくれているような気がする。雨だからと言って逃げ出したりしたら、レースの神様も怒るだろうなあ・・・。レースの神様にそっぽ向かれたら、今年の後半戦はロクなことがないかもしれない。」 そう考えて、頑張って準備をすることにしました。 今回のレースは有料ガレージも借りず、手伝いの仲間も呼んでいなかったので、本当に雨に打たれながらバイクを雨仕様にセットアップしなおしていきます。 <予選> 不思議なもので、雨にずぶ濡れになりながらも出走準備が整うと、やる気が復活してきます。 もともと雨は得意ではありませんが、昨年後半3戦で雨のレースが続いたので、以前ほど苦手意識もなくなってきています。 予選は開始時間を勘違いしていてコースインが遅れ、さらにガソリンコックをOFFにしたままコースに出てしまった為、1周もしないうちにガス欠になってしまいコース上でマシンが止まってしまいます。 あわててコース上でバイクから降りてガソリンコックをONにしてエンジン再始動。 遅ればせながらのタイムアタックが始まります。 予選時間も残り少なくなったところでリーダーボードに目をやるとゼッケン37番は4番手です。 「あらっ、やばい!もうちょっとがんばろう!」 最後のラップはもう少しだけ頑張って予選終了のチェッカーフラッグ。 再度リーダーボードに目をやるとポジションをひとつ上げて3番手になっています。 「あーあ、ポールポジション逃しちゃったか・・・」 雨の予選は序々に路面状況に慣れてくるため周回数が多いほうが有利です。 コースインが遅れ、さらに1周目でガス欠させてしまったことで、他のライダーよりも2〜3周少ない周回で予選を終えてしまったことが致命傷となりました。 正式予選結果を見ると、ポールポジションまであと0.5秒。 あと2周したらそのくらいは詰められたような手ごたえだったのでちょっと残念な結果となりました。 <決勝> やはり頑張って欠場しなかったことでレースの神様はご褒美をくれたようです。 予選が終了してから天候は急激に回復し、決勝レースは完全ドライです。 とりあえずドライであれば、99.9%は勝てるレースです。 決勝のスタートは、成功とはいえませんが、ここ最近の中では一番ましと言える程度の出来で、5番手で1コーナーに進入。 その周のバックストレートで1台かわして4位でホームストレートに戻ってきます。 この時点での最大の問題はM選手が目の前にいるという事実です。 これは想定外の最悪のフォーメーションです。 今目の前にいる3台のバイクのうち、一番抜きにくいのがこの3位走行中のM選手なわけです。 こういう展開になると3位走行中のM選手自身も当然ポジションを上げたいが為に各コーナーで2位のバイクのイン側から抜きに掛かろうとしているので、M選手のイン側には自分がねじ込むスペースが全く無いのです。 とりあえずM選手に集団の頭に出てもらわないことには、この状況を打開することが難しくなります。 まあライダーの実力からいってこのM選手が、前を行く2台をパスするのは時間の問題なので、しばらくこの4台からなるトップ集団の最高尾で様子を見る事にします。 ところがこのM選手、思いのほか前の2台をパスするのに時間が掛かっています。 しばらくしてM選手が2番手に上がると、自分も即座に3番手に上がり、さらにしばらくしてからようやくM選手が集団の先頭に立つという待ち望んだフォーメーションになりました。 これでようやくM選手と一騎打ちのお膳立てができたわけです。(とはいいながら、この集団自体のペースは依然としてあがらず自分の後ろには2台のバイクが付いてきているのですが・・・) コーナーでは完全にドン突いているのですが、どうしても抜くことができないまま残り周回数が少なくなってきます。 「このままM選手抜けずに2位でレースを終えたら、仲間に持ち帰る笑い話としては最高だよなあ・・・」 などと思いながらも前に出るチャンスをうかがいます。 ようやく最終コーナーでM選手が少しアウト側に膨らんだところでイン側から並んで立ち上がってホームストレートでなんとか前に出ますが、その先の1コーナーでイン側を取られ再び抜き返されてしまいました。 M選手は個人的に知り合いのライダーで、とりあえずM選手よりも自分の方が自己ベストタイムで1秒近く速いことも知っているので、自分が前に出たら諦めてくれるかと思っていたのですが、全く引く気配がありません。 「そうなりゃ、もう少し厳しくいかなきゃなんねーな」 と次の周で同じように最終コーナー立ち上がりでイン側から並んで立ち上がりそのまま1コーナーのイン側を押さえて進入します。 お互いの体が接触しながらもつれ合うように1コーナーに進入しますが、今回は完全にM選手の頭を押さえることに成功しました。 これでトップに浮上です。
今回のレースは車載のラップタイマーの調子が悪く自分がどのくらいのペースで走ってるのか全く分かりませんでした。 しかし、先ほどまでM選手の走りを後から見ていた限り、全力で走れば1周で振り切れることは確信していたので、なにも考えずに全開走行を続けます。 トップに立って3周目くらいにこのレースで初めて残り周回数を確認します。 残り3周の掲示が表示されています。 ここからは若干安全マージンをとって残り周回を走りきり、最後には後続に7秒以上の差をつけて無事トップでチェッカーを受けることが出来ました。 初めてレースに出場したのが1993年、苦節12年目の初優勝です。 表彰台に帰ってきて嫁さんから59秒台に再突入していることを知らされて、さらに一安心です。 目標の59秒台前半までは届きませんでしたが、一応自己ベストの59秒757。 ただ嫁さんの計測していたストップウォッチのメモリーを見て改めて冷や汗がでてきました。 18周のレースで自分がトップに出るまでの12周目までは1分1秒中盤のタイムが続いています。 「うわあ、残り6周しかなかったんだ・・・」 トップに出てからはそこから一気に0秒フラットから59秒台にペースを上げて完全に後続を振り切っていたということですが、万が一M選手を抜くことが出来ずにレースを終えていたら1分1秒台でレースを終えていたことになります。 天国と地獄・・・本当に危ないところでした。 結果として今年の自己ベスト更新神話はまだまだ続いています。 やはり今回のレース、雨でも逃げ出さなかった自分にレースの神様が微笑んでくれたような気がしてなりません。 それにしても、これでようやく少しゆっくりすることができます。 今年の3月に始動してから、全日本筑波に向けてドタバタし、全日本筑波が終わった後も鈴鹿2往復と今回のレース。 ここから約1ヶ月完全休養して(⇒というよりも、ちゃんと仕事に復帰して)、次にバイクに乗るのは7月3日のSUGO選手権。 このレースが8月の全日本SUGO向けての前哨戦となるわけです。 早いもので今シーズンもいよいよ後半戦に突入ということです。
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